文系と理系【世の中ががらりと変わって見える物理の本】

雑記

 

「文系素人が技術系資格に挑戦」などと題してブログを書いていますが、正直なところ私は文系ではありません。

とはいえ理系であるはずもなく、強いて言えば「学生の時に数学から逃げて、理系科目を全く学んでこなかった系」とでも言いましょうか…。

一般的に文系は人文社会科学、対して理系は自然科学を研究する学問の系統とされていますが、巷でよく言われる文系理系とは、高校や大学の教育現場で生徒・学生を便宜上分けて扱うための区分を指すことが多いのではないでしょうか。

ちなみに学問分野を文系、理系に区別する概念があるのは世界的に見て日本だけのようです。

私の場合、高校2年の進級時に文系コースか理系コースかのどちらかを選択しなければなりませんでした。
当時数学の成績が壊滅的だったため、消去法で文系コースを選択したと記憶しています。

以来、自分は文系と称しているに過ぎません。

特段、人文社会科学の学問に興味があったわけではないので文系科目の勉強もそこそこで、数学や物理にも触れることもなく、何もわからないまま大人になってしまったのが私です。

そんな私ですが、50歳目前のオジサンになってから始めた、技術系資格の勉強を通じて、数学や物理といった理系科目に触れる機会を得ました。

久しぶりに勉強をしてみて、理系科目の中でも特に物理が面白いと感じられたことがうれしかったです。

そんな中、タイトルに惹かれて、イタリアの物理学者カルロ・ロヴェッリが著した「世の中ががらりと変わって見える物理の本」を読みました。


相対性理論から始まり、量子力学、宇宙の構造や素粒子といった、物理学によって解き明かされた世界の様子について書かれた全7回の講義からなり、難しい用語や数式など一切出てこない厚さ1㎝ほどの本です。

とは言え、私の頭では1回読んだだけでは何が書いてあるのか全く分からない内容なのですが、何故か気になり2回3回と繰り返し読むうちに、物理学から見た世界の様子の不思議さに興味が湧くようになりました。

量子力学について書かれた第2回講義の中にこんな記述があります。

つまり、電子というものは、ひとつの状態から別の状態への跳躍という、相互作用の集合体ということができるでしょう。電子は、誰ともかかわりあいをもたないときには、決まった場所にあるわけではありません。場所を占めてはいないのです。
それはまるで、神様が現実世界を設計するにあたって、黒々と明瞭な線を引かずに、薄い線を用いたようなものです。

「ちょっと何言ってるか分からない」と言いたくなりますね。

普段は存在していなくて、何か別のものと相互に作用するときだけ存在する。

人からよく影が薄いと言われる私には、この電子の振る舞いについて書かれた文章が、とても強く印象に残りました。

量子力学の本質とは全く関係ない感想で申し訳ありません。

第7回の最終講義では、人間について、私たち自身も自然の構成要素であると同時に、自然そのものであると書かれています。

相対性理論から始まった物理学についての講義が、人間について語られることで帰結しているのです。

物理学によって解き明かされた世界と、人間の感情や思想、精神的な価値や社会ネットワークは矛盾すことなく複雑に入り組んでいると。

ここまでくると文系と理系の間に垣根というものが存在しないのがわかります。

世間でよく使われる文系理系とは、学生時代の得意不得意科目で決められたものに過ぎず、一方で学問を追究すれば、そこにはもう文系理系の区別は全くないということに気が付きました。

日頃耳にする「私は文系人間なので…」「あいつは理系出身だから…」「文系脳、理系脳」このような言葉は血液型性格分類と同程度の話のネタくらいに考えていたほうがよさそうです。

そう考えると、このブログのサブタイトル「文系素人が…」の文言がとても気になりだしてきました。

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